空いてる優先席に殺意沸くのは何故だろう?

…はい、タイトルの通りです。

えー、私、優先席の空きに殺意が湧きます。

ええ、殺意が湧きます。


賛否両論な優先席問題。

賛否両論なので理屈言っても水掛け論です。

そこで「何故私は殺意が湧くのか」に着目してみる事にしました。自己分析です。

はっきり言って自分は嬉々として友情破壊ゲームするくらいには性格が悪いのですが、そこから目を背けていてはいけません。

しっかり書きます。

正直が善とは限りませんが、これは分析なんです

から嘘書く訳にはいかないでしょう。

正直に書きます

エゴイズム満載ですが、それは当たり前の話です。だって心理的背景なんですから。

この記事をもとに正当性を訴えるのは間違ってますからね。だって心理的背景なんですから。

あくまで心理的背景であることをご留意ください。


さて、何故私は殺意が湧くのか。

それは…


座れる人が座らないという行動が凄く贅沢に見えてるからです。座りたい人が座れずに、座れる人が座らない事がとても不平等に感じてしまいます。

座ってるなら仕方ないと諦められますが、物理的には座れるんだから諦めきれません。


弱者を想ってみんなで席を空けておく。

人はこれを「助け合いの精神」と呼ぶらしいですが、私はこれを「殴り合いの精神」と呼びます。


専用席じゃないんですから、座りたい弱者が来るまでは座っててもいいじゃないですか。

私はそれまで座っていたいんです。

座りたいんです。

苦行を強いられたくはないんです。

苦行を強いるなら自分自身に強いてください。

私は付き合いたくありません。

こんな誰得ことに付き合いたくはないんです。


論理武装なら幾らでも出来ますが、心理的背景を語るならこれ以上のものはありません。

所詮はこれだけなんです。これだけのものなのです。

正当性を訴えるのに使うのはおススメしません。不満≠理屈なのです。あくまで両者は別ものなのです。

そして今、私は別に正当性を訴えたい訳じゃないんですから、これで十分なのです。十分すぎるくらいなのです。


それでは、さよなら、さよなら、さよなら。